石亭の
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広島 宮島対岸の旅館 庭園の宿 石亭 の公式ホームページです。折々の亭内催物や、サービスプラン等案内。館内宿泊施設詳細説明と食事プランの詳細説明が在ります。webPageから直接予約設定が可能です。
(2014/09/12)
瀬戸内海の名物となった穴子料理関連を扱う料理屋・仕出屋の「有限会社うえの」が原点のお宿です。日本の宿10選に選ばれた実績の有る宿で全国から人気があります。地元の人間は元々宿に泊まる必然性が少ないため、身近にこういった秀逸なレベルの宿泊施設がある事に気付く人が少ないだけなのかもしれません。後ろに標高596mの経小屋山を背景にして、前面に宮島の全景を望む風景は、大野瀬戸に浮かぶ牡蠣筏の風景とあいまって非常に絵になる物です。純和風式の母屋の居住性と、離れ座敷の寛ぎ感や、なだらかな下り斜面の回遊式和風庭園等は、評価満足度が高い理由でも有ります。サービスや食事の質・量も当然ともに上を行く高い評価です。
「有限会社 うえの」の経営者が、名産品の穴子料理を極めて行くうちに、「もてなしの心」に重点を置いた、自らが理想とする料亭旅館を世界遺産宮島の観光拠点としてプロデュースし、「他人吉」や「穴子飯うえの」の料理を「庭園の宿」のコンセプトで進化させ提供する宿泊施設としてオープンしたものです。宮島口から海沿いを西へ8km程下った処で大野浦駅と玖波駅の中間点宮浜に古くから温泉が有り宮浜温泉と称していました。西国街道(山陽道)旧道に程近い瀬戸内海と宮島全景が見渡せる丘陵に1500坪の庭園部分を有し純日本建築による母屋と離れ座敷が点在する高級料亭旅館です。部屋数は12室だけ定員は50名限定の落ち着いた宿です。
世界遺産「安芸の宮島」観光の宿泊地としては良い位置に有ると思います。その名のとおり、宮島を借景にした庭園が自慢の宿ですので、宮島島内に渡って参拝観光後、対岸で全景を望む風景を鑑賞するのも一興でしょう。館内からは宮島観光の参拝宿泊客のために、車両で宮島口「うえの本店前」迄宿泊客を送迎しています。所在地の近くは、律令官制時代の太宰府と京を結ぶ官道と、中世から近世にかけての西国街道(山陽道)が、後ろ山側山陽自動車道下側道付近に現存している場所です。古えからの通行者達が目にした風景目線を現代に於いて追体験出来るのも貴重です。付近には視界を遮る遮蔽物となる構造物は無いです。寛ぎ感大です。
旧道は廿日市宿駅と玖波宿駅の間ですが廿日市から9割近く歩き終えた地点となります。此処から先も旧道を通って八坂1丁目2丁目山側四十八坂(旧跡)を通過、鳴川石畳旧道を経て玖波の宿駅に至ります。西国街道の安芸国最西端の宿場で、神領(内裏・院宮・王臣家や神社の所領。)として独立した所在の地域でした。安芸国佐西郡の広島湾岸に位置し、同郡山間部から切り出される木材などの山林資源の積出港として栄えた港町。玖波の地名も貯木場を意味する「木場」が語源であると云われます。神領として佐西郡の各港と結びついており特に戦国後期は激減した神領に残された数少ない経済拠点、資源供給地として重要な位置を占めていました。
小瀬川木野渡し関所を通過し周防岩国城下の関戸宿に至ります。古代から中世を経て近世迄は付近の厳島神社が安芸・周防地方の経済物流の中心地でした。農業よりも近郊から積み出される山荷物・材木・炭・薪・茶の問屋や雑穀・干鰯・塩など専売の交易を主業とした町でした。付近の物流は専ら船舶による海上交通体系で整備された地域にあたります。神職は最初地御前に居りましたが、在地領主・神領(内裏・宮家等荘園や神社領の物流管理官)は玖波に在ってロジステイクス担任者の役割を果たし宿駅の機能の他に物流基地の様に機能していたようです。造り酒屋が人口の割に多く在ったり、問丸(問屋)が多い商業地域の街並となっています。
厳島神社参拝の際、時間が有れば先に地御前神社(廿日市市地御前)に参拝されては如何でしょうか。ここは、宮島厳島神社(延喜式名神大社)を「内宮」とすると、「外宮」に当たる由緒あるもので一揃いの神社です。祭事「管絃祭」などはここにお参りしてから始まります。近世までは広島からここまで陸路、ここから海路で厳島神社に行くのが通常の参拝経路でした。荘厳であり、鑑賞に堪えるものです。此の他、昨年「岩国錦帯橋空港」が民間空港として供用を開始しました。大型機も発着可能な立派な空港です。到着後或いは出発前、岩国城下も観光スポットですので、名勝「錦帯橋」と城下巡りも「石亭」宿泊観光の範囲として利便性を増しております。