御建神社の
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「西条町西条」の域内には、御建(ミタテ)大蔵、大地面(オオジメ)などの国府の存在を感じさせるような地名が多く残っています。近年、大地面で国衙附属施設の特徴をもった建物跡が確認されており、今後の発掘と調査・分析が期待されています。安芸郡府中町には「総社跡」が有りますが、国府機能を自分の都合で移した在庁の官人が、国府に必須の「総社」格社を自分で作って祀った神社の可能性が有るようです。国府本来の位置に建設された「安芸国国分寺跡」は東広島市西条町吉行に比定地が特定されて居ります。当社所在も国府祭祀の神社
名前の「御建(ミタチ)」とは国衙の事を指す言葉で言い換えれば「国府神社」と云う意味を持ちます。律令官制が施行され国府が各地に整備され始めた700年頃「御建」の地名の場所に鎮座した神社です。元々安芸の国府は現在の「西条町吉行」に遺構が有り、其の域内に有ったと思われます。1910-1911年にかけて現在地に遷座(移転)して「西条町西条」に鎮座している様です。有力な「在庁の官人」であった家柄の官吏が、自身の執務に都合が良い、自宅屋敷の在る安芸郡府中町に実質的に国府の機能を移して行き、国有財産である国衙の建物や敷地を損なって行ったものと思われます。 国府に祀ることを命じられた祇園社が有ります。
現在鎮座の「御建神社」は1910-1911年にかけて現在地に遷座(移動)したものです。「西条町西条」と「西条町吉行」に跨る地域に「御建(ミタチ)」「大蔵」「大地面(オオジメ)」などの地名が有ります。国府祭祀の神社で706年頃開かれた「御建神社」が元の「御建」の場所に在ったと考えられます。また「吉行」には「国分寺跡」が有り、国府に必要な①「八町四方の大地面」、②「御建」と呼ばれる「国衙建物」の特徴点を有する遺構所在の確認、③国中の神社を1箇所に祀った「国府神社」(御建神社-祇園社)、④護国寺としての「国分寺」(跡地発掘基壇復元済)等々の要素が具体的な遺構と条件として纏って揃っている訳です。
安芸国は大国ですが、当時の安芸郡府中町の「在庁官人屋敷」辺りではどう見ても四町四方しかとれません。四町四方は一辺430mです。つまり通常の八町四方の面積の4分の1しか無く、大国の国府としては、非常に見劣りする構えです。方格地割も見られず律令期の国府の形態からはかなり外れています。つまり国守が都から赴任して来ず、この時期はすでに国司遙任が始まり在庁官人に実質的行政権が移りつつあった時期で有力者が自分たちの勢力圏へ国府を勝手に移したため、このような行政の私物化がまかり通っていたようです。「国分寺」と「国府神社-祇園社」は勝手に持って行く事が出来ず、後裔寺/後裔社が現在に至るまで場所を示した訳です。
酒処として、今日では酒造業者もこぞって参拝奉納する事で有名な神社ですが、このような変遷を経て千数百年にわたり続いている国府祭祀を担った神社で在ることに興味を持って参詣してみて下さい。